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東京マラソン2007年参戦記
秋田県中央保健所長 (全国保健所長会副会長) 伊藤善信
平成19年3月5日掲載

2007年2月18日(日)東京都心で開催された東京マラソンに出場し、170万人もの声援を受けながら4時間25分44秒で完走しました。今回の大会で、私のレース出場は1998年から数え通算85回となります。内訳は、フルマラソン16回、100キロ以上のウルトラマラソンが12回、あとは30キロ、ハーフマラソン、20キロ、10キロ、駅伝などです。今回のゴールタイムは、私のフルマラソン完走タイムではワースト記録です。もっとも3年前に出場した東京国際女子マラソン市民ランナーの部(別名、準エリートマラソン・おまけのマラソン)では、32キロでリタイヤした経験がありますが。あの時のレースは、高橋尚子が四谷の坂で失速したように、11月の中旬にもかかわらず、東京の最高気温が25度以上で、給水が追いつきませんでした。市民ランナーにとっては過酷なレースで、20キロ付近まで給水を取ることができず、水の奪い合いではまるで格闘技そのものでした。
話が脱線してしまいました。とにかく今回のレースは、記録的には平凡な最悪のレースでしたが、記憶的には最も楽しかったレースのひとつです。

2007年2月18日第1回東京マラソン 雨の中3万人参加 マラソン(レース)のタイプは大きく分けると4つのタイプがあります。
[1] 出場資格及び制限時間の両方が厳しいレース
[2] 出場資格と制限時間があるレース、
[3] 出場資格がなく、制限時間がやや厳しいレース
[4] 出場資格がなく、制限時間が緩やかなレース

[1] の代表的なレースは、世界選手権やオリンピックの代表選考会となる国際大会です。女子では東京・大阪・名古屋の各国際マラソン、男子では福岡国際マラソンが伝統的に有名ですが、そのほか大分別府マラソン、琵琶湖毎日マラソンなども国際マラソンです。もっとも男子マラソンというのはありませんが。
このクラスのレースに出場できるのは、実業団所属のプロ選手が中心で、あとは一部のエリート市民マラソンです。今回の東京マラソンの前身も東京国際マラソンという参加資格が2時間30分という狭きレースでした。私のベストが3時間だからとても及びません。[2] の代表的なレースは、8月末に行われる北海道マラソンです。出場資格及び制限時間がどちらも4時間ですが、最高気温が30度以上となる都会のレースなのでなかなか大変です。約3千人規模の大会ですが、完走率は低いようです。[3] は市民マラソンの代表的なレースで、全国各地で開催されています。私が毎年出場している秋田の田沢湖マラソンは制限時間が5時間で、完走率も80%を超えますが、全くの初心者が完走できるものではありません、[4] のジャンルが今回の東京マラソンで、制限時間が7時間でした。日本人が多く参加するホノルルマラソンは制限時間が9時間ですが、都市型マラソンよりはリゾートマラソンに近い。荒川市民マラソンも2万人が参加する大きなマラソンですが、河川敷を走るマラソンです。ニューヨーク、ベルリン、ロンドン、パリなど世界の大都市では市民ランナーが大勢参加する大会が目白押しですが、日本では、これほどマラソンや駅伝の視聴率が高いにもかかわらず大都市での開催は行われませんでした。アジアでは、規模が小さいながらソウルや北京でも首都を走るマラソンがあるのにどうして日本ではできないのか不思議だったのです。

 東京マラソン開催への取組は2001年から始まったと言ってもよいと思います。一部の人たちが東京夢舞いマラソンという都心の歩道を使って走るマラニック(ピクニックのようにゆっくり楽しみながら走るマラソン)を始めましたが、年々参加者が増える大きな大会となっていきます。2003年には前述したように25回東京国際女子マラソンに市民ランナーの部が設けられ、3千人の参加者がありましたが、これは参加資格が3時間15分という厳しいものでした。今回の東京マラソンの開催は、東京に2016年オリンピック誘致という思惑もあったかもしれませんが、石原都知事の英断によるところが大きいと思います。ともあれ、昨年の6月に東京マラソンの募集が始まると直ちに申し込みをして8月の抽選結果を待ちました。結果は妻が一次当選し、私は落選しました。私は応援にまわることを覚悟していましたが、幸いなことに二次抽選で敗者復活し、夫婦で出場できることになりました。とても幸運なことです。

2月17日(土)いよいよ東京マラソンへ向けて出発です。東京マラソンの受付のため東京ドームへ行きました。18日は朝9時10分のスタートですし、混雑を避けるため、当日受付はないのです。ドームの内外はすごい人、人、人です。東京マラソン祭りも開催され、その盛り上がりは大変なものです。谷川真理のトークショーや50社以上の協賛ブース、広い東京ドームが狭く感じられました。東京のラン仲間と少し懇談して早めにホテルに戻りましたが、予報通り雨が降り出し、雨のレースを覚悟しました。

 2月18日(日)レースの当日です。午前5時起床、3時間目には朝食を済ませておくのが基本です。当日の朝は、タンパク質や脂肪は控え、炭水化物中心の食事です。バナナやオレンジジュースを飲んで体調を整えました。神田のホテルから中央線で新宿まで向かうとすでにランナーの姿が電車を独占しています。新宿駅西口に降りると、もうそこはマラソン会場という雰囲気です。ここからスタート地点の東京都庁までランナーの群が大きなうねりとなって続きます。雨足がひどくなってきました。気温も低いようです。今年は全国的に暖冬とはいえ、冷たい雨は嫌です。多くのランナーも傘をさしたり、ホテルの軒先で雨宿りです。新宿西口公園に来ました。ランナーの専用ゲートからスタートエリアに入りましたが、とにかく人が多い。まだ9時10分のスタートまで1時間もあるのに、居場所がない。寒い。新宿中央公園で温かいスープのサービスがありましたが、身体が生き返るようでした。
早めにトイレを済ませ、ゴールとなる有明ビッグサイト行のトラックに荷物を預けました。番号順にトラックも並んでいますが、10トントラック40台が並ぶ様子も壮観でした。その後AからKまで分かれたスタートエリアに整列するのですが、スタートまで30分間待たされるとさすがに身体が冷え切ってしまいました。石原都知事の会長あいさつの後、一斉にスタートの予定でしたが、しばらく全然前に進まない。スタートのゲートをくぐるまで5分以上かかりましたが、その分感動に浸ることができました。

レースは、西新宿の高層ビル群、大ガード、靖国通り、外堀通り、飯田橋、内堀通り、皇居前、霞ヶ関、日比谷通り、増上寺と東京タワー、品川で折り返し、数寄屋橋のガード、銀座4丁目を左折、日本橋、水天宮、江戸通り(国道6号、水戸街道)、浅草雷門で折り返し、再び銀座4丁目を左折して、晴海通り、佃橋を渡って江東区へ、豊洲、有明を経てゴールは東京ビッグサイトです。
東京の広い目抜き通りを埋め尽くしたランナーの群は壮観でした。応援の群もすごい。報道によれば178万人ということですが、悪天候にもかかわらず本当に鈴なりで切れ目なく熱心に応援していただき、心から走る喜びに浸ることができました。普段は車が行き交う整然とした街が、今日一日は理性を失ったように遊びの心に酔いしれて、明日からはまた何もなかったように取り澄ます大都会の狂乱乱舞。雨の日にも関わらず仮装のランナーが多かったこと、皆楽しむことを知っている、わずか2時間、3時間あまりでは終わらせたくない、ランナー皆の思いが一つになったレースでした。

途中のトイレが少なかった、食べるものがなかった、荷物の引き取りが混雑した、終わってみればそんなことは取るに足りないことです。今年参加したランナー、皆来年も参加したいと言います。抽選で外れた人は来年のリベンジを期します。沿道で応援した方々も何か面白そうだな、やってみたいと言います。テレビで観戦した人も興味を持ったようです。来年の参加申込者は何万人、いや何十万人に膨れ上がることか、今から楽しみですが、残念でもあります。というのは、競争率がハネ上がり、抽選で当たりそうにないからです。ともかく東京から新たなマラソン文化が発信されました。このマラソン文化の新たな歴史が日本中に拡がることを期待してやみません。最後に、東京の幹線道路及び600もの流入道路が長時間に渡って閉鎖された結果、大都会東京の空気のなんとおいしかったこと、秋田市の空気以上に爽やかに感じられた一日でした。

 冷たい雨の中を、完走ご苦労様でした。 3万人のランナーに1万人のボランティアも参加。地元応援団も寒かったです。
通過の区の保健所では、沿道での食品衛生のため、監視員が出動しました。
来年も待っているよ~。


東京・荒川市民マラソン in ITABASHI  完走しました。
板橋区保健所長 山口鶴子(2006年3月20日掲載)
平成18年3月19日(日)9:00スタート 
制限時間7時間 。 
心配されていた雨もあがって、曇天の下でのスタートでしたが、雲が切れて、晴天が広がるにつれ、冷たい北風が、荒川河川敷のコースを吹き荒れて、筋肉ががちがちに。それでも6時間50分でゴールできました。
ちなみに、秋田中央保健所の伊藤善信所長も参加され、タイムは、3時間15分とのこと。

来年は、みなさんもいかがですか。

詳しくは、板橋区HPをごらんください。
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